新社会人にっき

大学生活が終わりましたので思い出をつらつらと書いていこうと思います

奥様はテクニシャン

今回は、テクニシャンの話を。

 

テクニシャン、ていうとなんだかすごいことをできるような気がしますが、バイオ系ラボでのそれは要は雑用係です。

もちろん、研究経験があればそのぶん任せられる内容も多くなったり指導の手間も減ったりしますし、分かってる方がやって下さった方が綺麗な結果が出ることが 期待されますけど「ピペド」という言葉を引くまでもなく研究の一部はルーチンであり、きちんと教えてその内容を理解して下さる方なら学歴は関係ないとも言えるでしょう。

海外ではラボテク、なんて言っていて、何年も勤務し教授よりもラボ運営を知り尽くしてる方もいらっしゃったりするようなので すが、わたしの見た範囲では大学での直接雇用では一年契約の非常勤職員(技術補佐員、教務補佐員という身分が多かったです)で働く人が多いです。まして独立行政法人化してからというもの、「一年契約の雇用であっても更新は5年を越えて行うことはない」と求人の際に明記されていることがほとんどで、非常勤→ 常勤というルートはきちんとつぶしています。それに5年を越えても抜け道はごにょごにょ。。

派遣さんも多いです。交通費は出なくても残業が きちんとつけられて、直接雇用だと一日6時間だけど(契約によりますが)7-8時間働ける、会社によっては保険や福利厚生がしっかりしているというメリットがあります。あとは、はけんけんぽ、わたしがお世話になってた頃は良かったけど最近はどうなのかな…福利という点では大手のほうが良いかもしれませんね。習い事や資格試験の割引があったりするt社などはいかにもハケンの品格という感じがします。西日本はw社が強いようですが、t社も頑張っているようです。東日本ではr社が強いとかなんとか。

 

閑話休題。

 

さて、わたしの何度目かのシューカツは派遣会社を通してのテクニシャンということで決まりました。

某研究所での准教授の指導のもと、とある大きめの動物での実験のお手伝い、サンプル調製、機械での測定などなどを請負うものでしたが、P3レベルでのお仕事もあり、貴重な経験だったと思います。

研究室もこじんまりとしていて、学生と准教授や助教の先生との仲も良く、アットホームなよい空気で働くことができました。

ただ、大きめ動物にはなかなか慣れることが出来なかったのと、お金の出所がちょっとげふんげふん…

それでも、自分自身での研究テーマを持つことにも許可がおり、ひょっとしてポスドクとして直接雇用なんてことも来年以降にはあるかも…なんて甘いことを考えていたんですが、秋頃に教授選がありまして。

わたしの雇い主である准教授は退職した前の教授の弟子だったのですが、卒業後アメリカでずっとやってきた弟弟子が教授の座につくことになったのです。

なにやら雲行きが怪しくなってきましたねー、と思った方、正解。

 

いろんなことがあったようですが、ひとつだけ。

大きめ動物さんのお世話をするおじさんが技能補佐員(お給料ランク的には教務>技術>技能)としていらっしゃったのですが、この方が困ったさんでして。

日中来ない、勝手に夜中に来て深夜勤務手当てや残業代をゲットする、夜中なんて人がいないので来てはボイラー室の隅っこで寝ていたりすることもあったとか…でも長く(独法化前から)勤めていて労働組合員でもあるのでなかなか誰も強く言えないでいた方なのでした。

新教授はその方と丁々発止のやりとりをし、結果やめさせたと聞いています。

 

水清ければ魚住まず、ではありませんが、最近当時の同僚さんとお会いする機会があり聞いてみましたらずいぶんと研究室の様子も変わったとのこと。

研究室って規模にもよるのですが、ほんとにボスしだいでコロッと空気がかわってしまう側面があると思います。

 

わたしがその研究室をやめたのは、相方が無事研究成果をまとめたから…ではなく、再び前の上司が呼んでくれたのでした。

実は、研究テーマというのは大きめ動物でははっきり確立されていなかった手法を、前の上司が扱っていた手法を導入して試してみよう(分かりにくいですね、ごめんなさい)というものだったのです。そのことについて相談に行った折、上司が研究室から独立してラボを持つこと、そこでポスドクを一人雇えるのでどうか?と聞いてくださったのでした。

一も二もなく、その話を受けました。

 

そんなわけで、10-18時のまったりテクニシャン生活は終わり、いよいよ疾風怒涛、弱肉強食、空前絶後のポスドク生活へ足を踏み入れることになったのです。

 

うそです。(四字熟語部分は)