大学院は出たけれど。
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書きかけだった奨学金とお給料のお話がさくっと消えてしまってしょんぼりです。
ともあれ、ご立派な学位記をいただいてなんとかはくしむらに入ったわたしでしたが初めてのポスドク生活は古巣のお隣の部屋で始まりました。
全くの基礎分子生物学から、ヒトの疾患と治癒をテーマにしうるやや応用的な世界へ。
分野としては非常にニッチで、学会に行っても同じような内容をやっている人があまりいない、そんな研究をしていた隣のラボ(大ボスはわたしの指導もしてくださっていました。従兄弟子という感じでしょうか)の先生が
「うちにきたらいいよ」
といって下さったのです。
いくつか離れた場所(といっても引っ越し不要な程度)や近くの研究所でのポスドク公募に問い合わせや書類も送りましたが、条件面とほぼ荷物を右から左へ移動するだけで済むという気軽さに惹かれて、そこのお世話になることになりました。
ちょっと癖のある人物ですが、陰口は言うにしても家庭環境を既にご存じで、子育てにもそれなりの理解があり、研究については1聞けば20くらいは返してもらえる(そして大体自分の話になる…)それでいてある程度の裁量を持たせて自由にやらせて貰える先生でした。
研究分野としては基礎から応用への橋渡しをめざし医師との共同研究もやっている、というところで自分自身の技術や分野の広がりに期待を持てた、ということもありました。
英語への意識はこの先生から受けた影響が大きいです。
まあ培った英語力もTOEIC730点と履歴書に書けた以外には今後はあまり使うことはないだろうと思いますが、論文を読んだりするのに困らない程度には保っておきたいところですね…
ここで10ヶ月がすぎる頃、大ボスに来年度は更新しない、と告げられました。
わたしの能力的な問題が一番にあったとは思いますが、お金の出所での問題(大ボスが取ってきたお金ですが実質研究内容を進めているのは直属の上司でした)でもあったようです。
ともあれ、わずか一年でもう一度就職活動をしなければならなくなりました。
まだ新たな研究内容が大して身に付かず、結果も出ていない、学会にも参加していない状態で。
やさぐれたわたしは相方の研究(彼の方が学年は下です)のこともあり、再びテクニシャンになることにしました。