同情するなら職をくれ(前半戦)
って、言うほどシュウカツに励んだつもりはありません。
時系列順に少し整理してみます。
1.某製薬会社でポスドクとして初めてのシュウカツ@30代前半。
上司のセンセが寄付金をいただいていた企業での研究職求人を紹介してくださったのは某所ポスドク2年目の冬でした。いわく、博士も取っているから聞いてみてあげるよ、受けてみたら?
自宅から通える距離、誰もが知る、とまではいかなくてもその分野ではそこそこ知られている研究開発型企業、今の研究テーマからも遠くはない、
そういういたって消極的な理由でエントリーしました。
英語と、論文、それから役員さんの前でのプレゼン兼面接。今思っても冷や汗ものです。
一番のコアとなったと思うのは研究内容はともかくとして、リーダーとしてやっていけるのか?と言う質問でした。
ああ、そうだなあ、もう私はそちらに入るべき存在としてみられているんだ……
「今すぐに、というのは自信はありませんが是非挑戦したいと思います」
そんな風に応えたような記憶があります。
おそらくは、私の薄っぺらさなどお見通しだったのではないかと。
周囲との協調性や他人への指示、指導はともかくとして、教育に対する経験や成果を積み重ねて行きにくいのは特定や特任の研究員や教員にとっては不利な点だと言えると思います。
アカデミアだけじゃなくて、企業でも、いや、企業だからこそ一生一研究者として手を動かすのは難しい。
そうしたければノーベル賞でも取るか、割り切ってテクニックだけをお金に換えるか。二極化するのではないでしょうか。
ここのシュウカツの記憶は帰ってきてから高熱を出して3日間寝込んだことでほとんど飛んでいます。
2.登録・利用サイトもろもろ
最初のシュウカツ後は仕事が忙しいのと雇用が一応保証されていたこともあって、一年ほど研究に集中していました。
しかし、その間も絶えず求人情報には目を通し世間の動向をうかがいつつ、派遣会社にも登録していましたのでそのへんの情報もメールマガジンなどでチェックしたり一般的な求人情報をお勉強したり英語力を維持するためにちょこちょこ勉強したり。
お世話になっていたのは
- 言わずとしれたJREC-IN・・・地域指定で検索して眺めるのが楽しいです。ブラフっぽい求人を眺めてニヨニヨするなど暇つぶしにどうぞ。
- 研究職派遣のW社・・・電話での就業状況確認が面倒なのでメルマガだけちょうだい、って言ってました。
- 所属大学の求人情報ページ・・・またあそこのラボ、テクニシャン募集してるわー、とかそういう楽しみ方をw
- リクナビネクスト・・・メルマガは受け取らず、履歴書登録とwebコンテンツ閲覧メインで。コンテンツは勉強になりますが時間泥棒すぎて泣ける。
- Biotechnology Japan・・・日経BP社の老舗メルマガ。求人情報も微妙に。
このくらいでしょうか。
どのサイトをどの程度活用したか、はまた後ほど。
3.3年目の弱気
そうこうしているうちに、3年目の半ばにはいよいよ風向きが怪しくなってきていました。
直属上司と同期の先生方が、徐々に肩たたきをされているというお話です。
研究所を拡張したとはいえ、それ以上に新たな研究者が増えてテーマも広がり(正直プロジェクトのテーマからはむしろはずれた方向のほぼ基礎な研究内容のような方も…おや、こんなじかんにだれだry)
もともと私の上司を含むプロジェクト前半の研究者は第一期として終了していく時期だったのですが、クスリとしての実用化の可能性が低いテーマとその研究者をおいておく余裕がなくなってきていた、とはいえおいそれと行き先が見つかるわけでもなく、一年の猶予をもって、行き先を探すよう言われていたとも聞いています。
自分は一番実用に近いテーマだから実際にはどうにかなるだろう、とお気軽な上司の人でしたが、「いいところがあったらピャッとすぐに移っちゃった方がいいよ!」と言われ出したのもこの時期です。
相方には「もうあんた役に立たないからイラネ、って言われてるんだよ分かれよ」などと言われ続けていましたが実際問題私がいなければ(高給テクニシャン的なレベルだったとしても)ラボが回らない小規模研究室だったのでそこまでではないと思う…んですけど…(弱気)
そんなわけで、職探しの意識を若干高めつつも3年目が終わろうとしていた頃、東日本大震災が発生したのでした。